「ウソも方便」はウソが潤滑油になるということ

日本には古くから「ウソも方便」ということわざがあります。「本音と建前」という言い方をされることもありますが、しばしば「建前」という名前のウソをつくことがあります。「ウソなんか絶対つきたきない!」「ウソをつく人間は下等な人間だ」などと思っている人もいるでしょうけれど、良好な人間関係を築く上では、ときにはウソや言い訳、建前などが必要なケースもあります。

もし、誰もがみんな、思った通りのこと、本音しか話さない社会になったとしたら、どうなるでしょうか?そこはとても殺伐とした、トゲトゲしい社会になるはずです。

正直が時には人を傷つけることがあります

普段からとてもお世話になっている人がいるとしましょう。その人に食事をごちそうになったときに、だされた料理が口にあわなかったらどう言いますか?本音しか言わない社会なら、「おいしくなかったです」というしかありません。あるいは、「個人差があるのでしょうけれど、私の口には合いません」ということになります。もし、そんな風にいったら、相手は気分を害するはずです。せっかくごちそうしたのに、喜んでもらえなかったことにがっかりする人もいるでしょうし、おいしくない食事を食べさせてしまったことを申し訳ないと感じる人もいるでしょう。腹を立ててしまう人もいるかも知れません。

恋人からプレゼントを贈られてセンス悪い品物だと感じた時、本音だけの社会に暮らしていれば、「ありがとう」とは言えません。「この品物はセンスが感じられないね」「私にはこれはいいとは思えない」と答えることになります。せっかくプレゼントをした恋人の心は傷つくでしょう。相手の気に入るものを見つけられなかったことを恥じるかも知れませんし、嫌われてしまったかもと心配するかもしれません。あるいは、腹を立てて二度とプレゼントなどするものか、と決心してしまうこともあるでしょう。本音を伝えることで人間関係を壊し、自分自身も大きなデメリットを被ることもあるのです。

言い逃れも必要なケースがあります

子どもの頃に、「言い訳をするな」と教えられて育った人もいるでしょうけれど、言い訳は「責任逃れ」のためだけにするものではありません。時には、正しいこともあるのです。世の中には何が正しいのかよくわからないことも少なくありません。「言い訳」を聞かされた側が、必ずしも正しい立場にいるとは限らないため、反論する側が正しいこともあるのです。聞き手が事実を誤解して「言い訳」と理解している場合もありますし、先入観や悪意に基づいて歪曲していることもあるでしょう。

「言い訳」をすることによって、議論が発展することになります。もし「言い訳」が許されない社会にいたとすれば、言った者勝ちの世界が成立してしまいます。先に叱った方が全て正しいことになり、世の中の公平性は損なわれます。議論することで、社会の正義が保たれる面もあるのです。

ウソ方便とは昔からの知恵です。ウソも言い訳も社会生活をスムーズにするために、社会の公平・公正を維持するうえでも、必要な潤滑油なのです。人の心理を読む上ではそのことも理解しておく必要があります。

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